仲を深めてから変わる扱いの男女差

たくさんの人がいろんな背景を基に話すからゴチャゴチャに混沌としていて楽しい。

定期的に燃える男女対立。最近話題になっていたのはみんな大好き『ほがらか人生相談』から女子との付き合い方に関して。

 4月、大学のクラスでいきなり可愛い女の子に話しかけるなんてのは、130キロぐらいのバッター・ボックスに立つことです。バットにボールが当たるわけがありません。そもそも、130キロは怖いです。

 そういう時は、クラスで「男性と会話することに怯えている女性」を見つけましょう。

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自分が無理しないで話せる女の子を探して話してみよう、という話を相談者の解像度に落とし込んで文章にした結果、「怯えてるって…」とひんしゅくを買うことに。

 

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わからなくもない。男性に不慣れな女性をイージーモード扱いして見下しているのでは?と敏感な人は思ってしまうかもしれない。ただ、誰も傷つかない物言いというのはすごく難しいもので、『性別関係なく人間として扱えばいい』てな風に言うとだからそれがどうやってやるのかわからないのに…となってしまう。

 

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そもそも男女は断絶している。少女・少年漫画とカテゴリ分けしたり、モテ方といえば『男らしく』『女らしく』。男性は長時間労働になりがちだったりマミートラックだったり。医大の不正入試だのエトセトラ。多様性という言葉が認知されてまあまあ経つけど、その対象を性差関係なく一個人に落とし込めるところまではきていない。

元から持っている性質と後天的に覚えた知識と環境で人間は男の子らしく、女の子らしく、自分らしくが混じったものになる。辛さを辛いと言ってもいいようになってきたもののまだまだ旧世代から受け継いできた性別の呪いは続いている。

 

友達がたくさんいる人もいない人もそれぞれに人間扱いはしているんだと思う。ただ、「これを言ったら不快に思うかな」とか「お店が見つからなかったら困るから予約しておこう」とか「好みだと聞いてたから用意しておこうかな」とかまだ起こってないことを想像して起こす行動の加減が「人間扱い」を主張する人たちの本意なのかもしれない。男女の話において地雷みが強まってきた「察する」ってやつ。

 

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n=1ではあるけど、現実では同じような光景がたくさんある。もちろんない光景もある。このツイートが同意を得たり反発を受けたりするのを見るに、ひとつの側面として正しいものと思える。男性も女性と接するときは当たり前に気を使っているということ。(がまんもしている)ただ、それが付き合いを長くすると薄れてくるのはあるんだろう。

 

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男子同士、女子同士で仲の深め方は違うと肌身で感じる。それが脳みその違いなのか血液型なのか育てられ方なのか理由はわからない。男女で何で違うんだろう?もちろん個別に見れば違いはグラデーションで男女で分けることすらナンセンスなんだけども、おおよその傾向として男女の違いはある。

 

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隙あらば自分語り

うちの場合も彼とはだいぶ雑な仲になってきている。倦怠期は通り過ぎてお互いに空気のような感覚でいるんじゃないかと思う。生活をしている中で驚いたことがあって。彼が晩ご飯にからあげを作る、というのでお願いして待っていたら出てきたのは山盛りの唐揚げのみ。私は晩ご飯というと、メインが唐揚げであって白飯があって野菜も何か用意して…という前提だったので心の中でかなりびっくりしたし、軽んじられてる??と思った記憶がある。逆に、彼に対してはそういった餌的な提供で十分だということがわかったし、ひとつ重荷を捨てられたきっかけにもなったので良かったんだけど。。まあ、ぞんざいな感じも受けて寂しくはなった。

 

雑なコミュニケーションで絆を感じるタイプと、自分のことを思いやって行動してほしいタイプとが一緒にいるのはちょっとした悲劇ではある。私がここまで割り切れたのも付き合いの期間が長くなったからかもしれないし、自分が年を重ねたからかもしれない。「もっと私の好きなように生きて!」というのもおこがましいし、彼は彼なりに過ごしやすいように生きたいだろう。男性は~女性は~と煽るのは虚無でしかない。その人の気づかなさだって私にはないものだし働くうえで疎さはつよい。

 

私自身、仲良くなった人には察してほしいし特別扱いしてほしいと思っている。段々そういう扱いがなくなってきて騙された!と思った時期もあったけど、悪意のないことだとわかってからまあそういうもんか、と思えるようになった。察し察されの関係で生きていきたいなら女性とのパートナーシップも全然あり得るな、と考えている。