人を殺していい理由はない(農水省元次官の件)

f:id:kzmtkwn:20190604214614j:plain

こちらの件について。 

元農水省事務次官 殺人未遂の疑いで逮捕 長男を刺したか | NHKニュース

 

先に発生した登戸のニュースを見て、息子も同様の事件を起こすのではないかと不安になったと。

児童など19人刺される 女児ら2人死亡 容疑者を特定 | NHKニュース

 

加えて家庭内暴力もあり、両親ともに身の危険を感じていたと。

長男の暴力は中学から 父親の元農水次官「身の危険感じた」 | NHKニュース

 

近隣の小学校にイチャモンをつけ、罪のない人に危害を及ぼす前に自身の手で息子を殺めたと。

農水省元事務次官「川崎の事件見て息子も危害加えるかも」 | NHKニュース

 

本件についたコメントを読むと、どうも賞賛する声が大きいように感じます。

リアルでも、「死んで当然」「製造者責任を果たした」なんて声を聞きました。

ちょっと・・・嘘でしょ?って思います。

たしかに被害者が家族にしてきた行いは悪いです。

だからといって殺していい理由になるんでしょうか?

しょうがないから人を殺していい理屈はないと思います。

「責任を果たす」ことが息子の命をなくすことではないはずです。

 

社会弱者にかける辛辣な言葉は呪いになる

一人殺せば悪党で、百万人だと英雄だ。
数が殺人を正当化する。

 映画『殺人狂時代』より引用

賞賛のコメント群を読んだときに思い浮かんだ言葉でした。

釈然としなさ、というか。

 

言うは易しですね。(「働けー」「自立しろー」)

でもその言葉って、自分が同じ立場立ったときに、そっくりそのまま返ってくることになります。

引きこもりや無職、非正規やシングルマザーなどその立場にあるだけで厳しい言葉を投げかけられる場面がままあります。

厳しく当たるのは、人をカテゴリ分けして「自分とは違うんだ」と無意識に思っているから自分と地続きの人間であるとわからずに、声を出してしまっているんでしょう。

 

誰だって、いつだって弱者の側にまわる可能性があります。

自分が悪くても、悪くなくてもです。

「自己責任」が極まると、社会と切り離され人が孤立し、戻ってこれなくなってしまいます。

実際にいま日本では戻ってこれない人が多くいて、認識はされど有効な対策がされていません。

 

最善策はわからない

殺すな、というのであればどうすれば良かったのか?

それは・・・わかりません。正解がないからです。

どこか相談窓口に駆け込んでいたらあっという間に事態が好転していたかもしれないし、そのままネットゲームをやらせ続けてたらなんとなく外に出るようになっていたかもしれない。

病院に相談してお薬を処方されていたら・・・。

起こっていないことについては「かもしれない」でしかありません。

 

息子を手にかける、というのも選択肢の1つです。

ですが、そのほかの行動を選択することができなかったのが、日本社会の弱さだと思います。

(駆け込み先の周知がされていない、効力がないと思われている)

 

同様の事件が起こらないようにするには・・・を考える

この件は、社会問題に相当すると思います。

 

どうしても「引きこもり」「ゲーム」「無職」などの本人を形作るワードが目に入ってきがちですが、これらが原因ではありません。

本人の性格や育ってきた環境、家族・ご近所との関わり方、過去の友人関係など複雑な要因が結果になっているからです。

 英一郎さんは自宅に引きこもり連日、オンラインゲームに没頭。SNSにはゲームに関する投稿のほか、父親を自慢する書き込みもあった。
~省略~
さらに「肉体は健康だが脳は生まれつきアスペルガー症候群だし、18歳で統合失調症という呪われた身体」という投稿も。

引きこもりの息子を殺害 元農水次官が周囲にひた隠した“戦慄の日常” (2019年6月3日) - エキサイトニュース

自称ですが、病気を発症していたのであれば伴う対処をするべきです。

 

とはいえ、子供を持つ家庭にすべてを対処しなさい、というのは酷ですし不可能でしょう。

なので家族は「身内の恥」と思わずすぐに相談窓口を探す。病院に行く。など家族だけで抱え込むことをやめるべきです。

周囲や外野は、つまはじきにしないでより良くなるように見ているだけでいい。

 

 

日本は、ひいては人間はまだまだ未完成な存在だと思います。

命あるみんなが良いように生きていくことを目指すのは、難しいのでしょうか?

ここで「そういうもん」と諦めてしまえば、自分の命をかけて責任をとること。人に命をかけて責任を取らさせること。が蔓延することになってしまいます。

(その考え方が表に現れておかしくない世の中になる恐れ)

すでに多くのことが自己責任で片付けられかねない社会において、こういった危機が迫る可能性を示したこの事件について、しっかり考えるべきなのかな、と思いました。