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鬼滅の刃と老害感

無限列車編の映画公開に伴って日本が鬼滅ブームになっている。それが結構大々的で、『君の名は』のときより幅広い年代で受け入れられているような体感。これより前に、鬼滅が本誌での最終回を迎える頃にブワッ!と盛り上がったけど、局所的なもので鎮火するのが早かった。何で今こんな盛り上がっているかというと広告代理店が本気を出しているより他ならないと思う。

元々無限列車編の映画は予定されていたのでコンビニコラボとかお菓子コラボはよくある展開で、深夜アニメの那谷蜘蛛山編を2時間に編集して21時にフジテレビで放送するとか何なら関西では本編をゴールデンタイムに放送するらしい。。そんなことある?

メディアは実人気がなくても「流行りの」「若者を中心に」「大注目」というラベルをつけてごり押しすることに抵抗がない組織だからむしろ盛り上げてやってるくらいな感じでそれは嫌いだ。

 

私は鬼滅の漫画を7巻までとアニメを23話までみたところ。。これに至るまでにはすーーーーーーーーーーーごい億劫で見る気が起きなくてネットフリックスをつけながら「ハァ…めんどくさ」と思っていた。無駄な時間を過ごしていた。

これほど盛り上がる前から話題になっていたのは知っていて、見なきゃなーと思いつつ、「何か流行りものだからみておかないといけない」圧を勝手に感じて勝手に面倒くさがってウダウダしていたのは私の人生で今まで起こったことがなくて、こんなにも素直になれないのって、もしかして老害化?と思ったのだ。

 

鬼滅に関してはアニメがリアルタイムで放送されてた頃、2話でみるのをやめた。面白くなかったし冗長な感じがしてタルかった。後になって3話からみると、さびととまこもが出てきて目標のある修行編が始まり話が展開されていっていた。そっからぽつぽつと続きをつけはじめて、戦闘シーンの作りこみがすごいし、炭治郎が哀れなほどまっすぐで応援したくなったり、段々良さがわかっていった。

 

今はこれからの展開のネタバレを踏まないために漫画を読んでいきたい。何であんなにアニメを再開するのが面倒だったのか理由はよくわからない。あれでもって再生を押せずにあーだこーだと難癖をつけ始めたらいよいよ終わりな気がする。新しさを受け入れることに苦痛を感じるようになったのは悲しい。(すべてではないと信じたい)