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映画『生きる』感想

名作。

1952年公開の黒澤明監督作品。全編モノクロ。今から72年前の作品。

台詞は聞き取れないので字幕付きで。

 

役所勤めの渡辺は仕事の熱意もなく、死んだように生きていた。体の調子が悪く病院に行くと胃がんが判明。明るく元気な職場の女性によって、決心した渡辺は役所に戻り人が変わったかのようになり・・という話。

私の要約では全然興味をひかれないので、気になる人は観ていただきたい。観ればわかる。

 

コテコテに昭和映画なんだけど、難しい言葉もなくそもそも台詞が明快なのでわかりやすい。(開闢はわからなかったけど)

病院で洗面台使ってるのに割り込まれたり、飲み屋で野良犬がうろついてるし、あろうことか蹴ってるし今とは全く違う風俗が新鮮で楽しい。

モノクロのバランスがきれいで見惚れるし、バーカウンターの鏡越しに写る会話シーンにはオッとなった。

夜のシーンでは若者客の人数が多く芋洗い状態なほどで、映像が楽しい。

 

死んだように生きていた渡辺が生まれ変わるシーン。「何か作ってみれば」と言われ、「そうだ、俺も」となるシーン。あそこでハッピーバースデーが重なる演出がすごすぎる。。若くなるでも赤ちゃんに戻るでもない、”渡辺”が開眼する様として描かれていたのが何より迫真だった。

その後、あっさり通夜が始まり。参列者からああだったこうだったと始まってから、なるほどそういうことね!と。渡辺が命を燃やしたのは確実だとして、具体的にどれくらいで何をして・・というのがわからないため、聞いてるこちらはミステリーの気分に。

 

公園づくりに邁進して彼はしんだ。命を燃やしてヨボヨボになりながら駆けずり回った。やっと着工した建設現場での表情は太陽みたいにギラギラして、私には生命力のかたまりのように見えた。「希望だ・・・!」と心から思ったのは初めてかもしれない。

ストーリーが、とか、テンポが、とかそんなん放っておいて何かむき出しの原石を目の前にもたらされたような、そんな体験をした映画だった。

 

 

映画『PLAN75』感想

75歳以上の高齢者が自分の意志で安楽死できるようになった世界。

福祉として法整備され、肩身の狭い思いをする高齢者たち。

雇用も切られ再就職は厳しく生活保護には抵抗がありPLAN75に申し込むミチ。

テーマは穏やかでないが、映像はきれいで出てくる人たちも悪い人がいない世界だった。

 

主人公のミチはきれいで、勤務態度も真面目、丁寧に暮らし、お友達とつつましく生きている。なんてファンタジー

私が生きている中で接してきた高齢者は決してそんな人ばかりでなく、良くも悪くも個性的だった。

この映画は特定の人物に焦点をあてて展開していくので、たくさんの要素を出すとブレるというのはあるだろうけど、にしてもキレイな映像で、道徳の教科書みたいだと感じた。

 

正直なことを言えば、そりゃあ健康に問題なく頭も働いている人が社会制度のせいで死を選ぶことはあるべきではないと思う。逆に、健康に問題があったり、人とコミュニケーションが取れないほど疲弊している人は死によって救われる面もあるだろう。

そうやって二項対立になって市民同士で争いあうだろうことが簡単に想像できるが、それで誰が喜ぶかというと、PLAN75という暴力的な制度を敷いた政府であり。

この映画でも首相や政治家は全く出てこず、現場で働く役人ばかりが直面している。

現代の感じでPLAN75が制定されても、結局政治家はジジイだらけなんじゃないかな。

高齢化も貧困も少子化も自己責任にされてる世界でどう生きるのか。

受け身でい続けるほど状況は悪くなっていくけど、できることも少ない中でどう終わっていくのか。

せめて何か理想を持てれば希望になるのかなーと思った。

 

 

 

菊花賞2023 ルメールの神騎乗

お見事としか言いようのないレースで、本当に軽視して申し訳ない。

www.jra.go.jp

 

皐月賞馬のソールオリエンスとダービー馬のタスティエーラの2頭対決かとされる雰囲気で迎えた菊花賞。勝ったのは4番人気のドゥレッツァだった。

GI未経験・大外の条件から切ってしまったがドゥラメンテ産駒・ルメール騎乗(レース前も騎乗)で大いにあるとなるべきだった。。

実際に買ったのはサトノグランツとサヴォーナのワイド。いや、サトノグランツは悪くないからね・・・。

大外から前につけてそのままレース引っ張ってから引っ込んで足ためて加速して勝つなんてある!?という。。先行にいったあたりでデータキャラのメガネは割れてたね。

もちろんドゥレッツァ自身が能力高いのはもちろんのこと、騎手の判断や乗りこなしが超一流すぎてこれは”騎手で買え”の盲目信者になってしまいそう。

 

騎乗の上手い下手は未だにわかっていないけど、今回のルメールやジャックドールの武豊はすごかったのがわかる。馬の強さ比べが面白いのはもちろん、騎乗技術を見せつけられるレースも見ごたえがあってとても良かった。

それにしてもキャプテンがドゥレッツァ軸でバチ当てしててすごかった。70万?とか・・・。本買って勉強しよかな。

 

 

次回、天皇賞はどうなる!終わり。

 

 

秋華賞!リバティアイランド3冠達成する

競馬が面白い。

今回の秋華賞は98%リバティの圧勝で終わると誰もが思っていて疑わない雰囲気。

夏の放牧で+60だか50キロ増え、大成長したリバティ。ムキムキ。

追切は相手の馬が併せにならないとか言っちゃう始末。

ルメールでさえも会見は鼻で笑い飛ばし「リバティ以外には勝てる」と言う。

結局、リバティ単勝1.1倍までなってしまったので紐つけて買うしかない。

 

相手はドゥーラ、コナコースト、マスクトディーヴァで、穴にマラキナイアとフェステスバント。馬単で先の3頭、ワイドで後2頭。こういう時ルメール持ってくるんだよな・・・とわかっていつつ、ハーパーは切った。

過去見ると人気上位が順当にきてる感じ。6位くらいまで。3歳で夏明けだしで激変しててもおかしくないのかなーと思ったけどあんまりそうでもないみたい。

 

結果、馬単的中!マスクトディーヴァの末脚速かった・・・前走レコード出していて、やっぱり疲れとかあるんじゃないのーて心配してたけど余裕だった。すごい。わずかながらお金もプラスで嬉しい。

 

レース後、川田泣いてた;;リバティ自身が圧倒的ポテンシャルだから、プレッシャーとんでもなかったろうな。こっからは古馬相手だろうけど、全然怖くないしむしろ対等な勝負になりそう。楽しみだーー。

息子がジョッキーベイビーズで優勝した時に見せたパパの顔しかり、最近の川田はとても魅力的。。

 

今期ウマ娘がやっていて、ちょうどキタサンのシーズン。ドゥラメンテバチバチにやっていて、これからサトノダイヤモンドともやるんだろう。今回の秋華賞もドゥラ産駒とキタ産駒がバチバチで、ドゥラ産駒であるリバティの勝利。父親の成し遂げられなかった3冠を達成した親孝行娘である。できすぎている・・・。

 

荒れずに儲かりはしなかったけど、見たいものが見れたいいレースだった。

 

『おやすみプンプン』を読んだ

読後、「大人だから耐えれた 10代だったらやられてた」と呟いたけど、嘘です30代の今めちゃくちゃくらってる!!読んだ後ぼや~っとして、全然ギューってしてる。

 

強烈なファムファタル。性衝動と自意識と痛み全部乗せで本当に、思春期に読んでなくて良かった。もし多感な時期に読んでいたら憧れておかしくなってた。

小学校時代、”虐待を受けていた愛子ちゃん”を助けようともしない展開で、設定はエッセンスなんだと気づき冷静になった。一般的に正しいとされるもの(愛子ちゃんを虐待から救う、両想いになる、キレイな学生生活を送る)は描こうとしてないんだな、と理解った。

 

全体的にジメッとした漫画だった。でも続きは気になる。”幸せ”にはならないことだけはわかる。プンプンはイジイジウジウジばっかりで行動しなくてこっちがいらいらしてくる。なのにモテるし、その数百倍女(女体?)を求めてる。人の気持ちを考えもしないで自分の事だけ、保身だけ。それでいいと思ってて結果何とかなってる、甘ったれだ。

対して、出てくる女の子たちは魅力的。田中愛子はもちろん、翠や幸も可愛いし息づいてる。プンプンを狂わすほどの田中愛子を説得力を持って描いているのがすごい。「言ったよね 次嘘ついたら殺すって」のとこ、最高でした。(台詞はおぼろげ)

”都合よく”なんだけど、都合が悪いと物語にならない。私はこれを『おやすみプンプン』のメタ的に捉えていたんだけど、外れてもいないっぽい。

gumichoko.hatenablog.com

考察を読んで、びっくりした。幸の漫画なの・・・?!と。確かに、プンプンのデザインは友達の落書きだったけども。だから途中までは面白いけど最後はそんなでもない終わり方だったのか?(日常は取り立てて面白くない)何重構造にもなってる漫画はすごい・・。好みの問題といえばそれまでだけど、田中愛子の裸のシーンが思ってたより淡白で。何なら行為のシーンも素っ気ない。あれだけ、あれだけ渇望していたものなのに、もっとネットリいやらしく神々しく描けるはずなのに・・と思っていたのは、幸が描いていたから・・ならわかる。

 

この漫画、プンプン一家をあのデザインで書いているのがとても良い。激しく揺さぶられた時には目の描写を入れて、心境によって姿かたちを変えて、変わり続けていくことで、核が読める。見える化。プンプンにおいては、子供プンプンが大人になってから現れることで、あの頃の気持ちになっているんだ、とわかる。人間の描写以上のささくれだった本人を感じられる。

目だけ、指先だけ、服装から、どんな人か想像できるのも楽しい。プンプン・・見た目良いんだろうな、とわかる。子供の頃ジャニーズ入りがどうとか言われていたからちゃんと顔は良いんだろう。顔が良くて静かで陰のある感じ。。惹かれる女子もいるだろうなーと。クズだからこそ・・何の魅力で引き寄せてるかわかんない主人公より、ダメな部分で引き寄せてる主人公の方が人間ぽくある。

 

この漫画、すごい面白かったな。プンプンは田中愛子に殺してほしかったのに叶わないところ、ましてや半生を漫画にされて公開される・・・幸による「私の」宣言とともに。でも、プンプンは悲しいとか辛いとかじゃなくて、苦しくてもやりながら生きていけるんだろうな。周りに恵まれたというのはあるけど、何しても悩んで自滅してめちゃくちゃになるんだから、幸せになんてならないんだろう。それでいい、それで良かった。

 

他人の妊娠にショックを受ける現象

ありますか?私はあります。友達の報告はもちろん、芸能人でもウッとなる現象。何なんでしょうか。私には関係ないことだし、だれが悪いわけでもないむしろ喜ばしいことなのに、素直に喜べない自分は何?繕う必要もないので無理して気分を上げたりしないけど、心から喜べない自分にうんざりするまでが一通り。

 

同じような人いますか・・って検索しても、「欲しいのに授からなくて」って人とか、「欲しくないから気にならない」人とかしか出てこなくて、同じ気持ちの人がいない!!

私はというと、既婚でぼんやりした妊活を始めて稽留流産し何となく気が乗らず6ヵ月経っているところ。子供が欲しいわけでもないが、できたらできたで・・のスタンス。焦っている自覚はない。今年35歳、夫は10個以上↑。実家とは疎遠、義実家とは良好ただし遠方。共働き。出産したことはない。

妊娠報告を見かけるたびに、なんか「先を越された」感覚があって、自分だけ浪人し続けているような気持ちになる。だからといって「じゃあ私も頑張らなきゃ!」にはならず、ウダウダモダモダ頭の中で感情が回るだけ。

 

つい先日、お友達から妊娠報告があって、すごくウワーーーーーーッ!!!!ってなってしまったんだけど(自分の中だけ)いよいよこれに向き合わないといけないな、と至りました。

 

考えられる原因

・社会的な圧を感じて苦しくなっている(社会性)

・友人とステージが変わってしまうのが嫌(友人関係)

・今の生活に子育ての余地が考えられない未熟さを感じる(自覚)

 

・社会的な圧を感じて苦しくなっている(社会性)

女性は子供を産んで一人前、なんてことはないが、周りが子育てに奮闘している中、自分のことだけを考えていればいい自分はこのままでいいのかな?とは思う。それに、地方の長男と結婚しているため、義実家の方達は心配しているだろうな~とも。

幸い、直接言ってくるデリカシーのない人がいないため穏やかに暮らしてはいるけど、

周囲の優しさに甘えているような居心地悪さがちょっとある。

 

・友人とステージが変わってしまうのが嫌(友人関係)

「置いてかれた」感があるのはここが大きいかもしれない。子供を持てば生活が変わる。見ているものも考え方も好きなものも変わる。変わって当然。

違う立場にいることで共感ポイントが減る。共感してほしいし、してあげたいのにできない。お金の使い方も変わる。色んな感覚が変わってしまう中で以前通りの付き合いはできない。のがさみしい。私は近い立場の友人を新しく作るべきなのだ。

 

・今の生活に子育てが考えられないことに未熟さを感じる(自覚)

私はフルタイムの正社員で細々と生活している。残業なし、休日出勤なし、有休取りやすい、恵まれていると思う。なお給料は低い。相変わらず朝は眠いし、飯の用意は面倒だし風呂にも入りたがらない。自分だけで精一杯てほどではないけど、この生活のコンパクトさが過ごしやすい。

夫はよく残業しているし帰りも遅め。家事は折半てほどでもないけど、お互い気が向いたらやるって感じでそんなにストレスはない。

この生活で、プラス子供と言われても全く想像できない。なんかすごく大変そう。大手の会社や公務員は育休制度が整ってるから取りやすいらしい、親の援助があればとても助かるらしい、うちはリモートワークができない仕事だから復帰=出社しないといけないな、とか。上を見ればキリがないけど、子供を育てるような環境じゃないんじゃないか?と思うし、そういう環境にしかできなかった自分も情けない。

大人として未熟な気がして、そういう自分と強制的に向き合わされるのような感覚になってちょっとしんどい。

 

 

ChatGPTに聞いてみた

Q.妊活してない既婚者が他人の妊娠報告にショックを受ける理由はなんですか

妊活していない既婚者が他人の妊娠報告にショックを受ける理由は、いくつかの要素が考えられます。

1.子供を望んでいる:妊活をしていない既婚者が他人の妊娠報告を聞くと、自分たち夫婦も子供を望んでいることを再確認させられ、その現実を受け入れることが難しくなる場合があります。この報告は、自分たちがまだ子供を授かることができていないことを痛感させる要素となります。

  1. 2.妊活の困難さへの焦り:妊活をしている期間が長くなると、自然に焦りや不安が生じることがあります。他人の妊娠報告を聞くと、自分たちにとっての妊活の困難さや遅れについての不安がより強調され、ショックを受ける可能性があります。

  2.  
  3. 3.社会的なプレッシャー:結婚後、一般的な社会的な期待として、夫婦は早い段階で子供を持つことが期待されることがあります。そのため、他人の妊娠報告を聞くと、周囲の期待に応えられない自己否定感や、他人と比較されることによるプレッシャーを感じる場合があります。

  4.  
  5. 4.不妊の可能性や健康問題の懸念:妊活をしていない既婚者が他人の妊娠報告を聞くと、自分たちに不妊の可能性や健康問題があるのではないかという心配が頭をよぎることがあります。これにより、ショックや心の負担を感じることがあります。

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  7. 5.妊娠や出産への不安:妊娠や出産は身体的、精神的にも大きな変化や負担が伴うものです。妊活をしていない既婚者が他人の妊娠報告を聞くと、将来の自分たちの可能性や負担に対する不安が増大し、ショックを受けることがあります。

これらの要素は、妊活していない既婚者が他人の妊娠報告にショックを受ける理由として挙げられますが、個人の状況や感情によって異なる場合もあります。

 

考えてることと結構近くてびっくりした。私の気持ちは普通のものなんだと思えると、楽になる。あまり、友達には言えないことなので。

 

 

Q.他人の妊娠報告にショックを受けなくなる方法は何ですか

  1. 他人の妊娠報告に対して感情的なショックを受けなくなる方法は、以下のようなアプローチを試してみることができます。
  2. 1.自分の感情を受け入れる: 妊娠報告に対して感じるショックや嫉妬といった感情は自然なものです。自分の感情を否定せずに受け入れることが重要です。その上で、感情を客観的に観察し、自分の心の中で処理する時間を作りましょう。

  3.  
  4. 2.コミュニケーションを大切にする: 自分の感情や妊活の状況を理解してくれる人々とのコミュニケーションを大切にしましょう。パートナーや信頼できる友人、専門家などに相談したり、感情を吐き出す場を持つことで、心の負担を軽減できます。

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  6. 3.自分の幸福を重視する: 妊娠報告にショックを受けるのは、自分たちが望む子供を授かることができていない現実とのギャップから生じることがあります。しかし、幸福は子供に限らず、さまざまな形でやって来るものです。自分たちの幸福や充実感に焦点を当て、他人との比較ではなく、自身の道を進むことを意識しましょう。

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  8. 4.自己ケアを行う: 自己ケアは心のバランスを保つために重要です。妊活に関連するストレスを軽減するために、リラックスやストレッチング、ヨガ、マインドフルネス、趣味や好きな活動に時間を割くなど、自分自身を労ってリフレッシュすることが大切です。

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  10. 5.妊娠報告から距離を置く: 妊娠報告が自分にとって感情的な負担となっている場合、一時的に妊娠や出産に関連する情報やソーシャルメディアの投稿から距離を置くことも有効です。自分自身のペースで妊活に取り組むことを優先し、適度な距離を保つことで心の安定を図ることができます。

これらの方法は、個人の状況や感情によって異なる効果をもたらすかもしれません。自分に合ったアプローチを見つけるために、自己探求や専門家のサポートも利用することがおすすめです。

 

”妊娠報告に対して感じるショックや嫉妬といった感情は自然なものです。”で割と救われた感がある。この記事は何日もかけて書いているので、時間が経つとともに自分も段々落ち着いてきた。長文を打ち込んでいるのもケアになっているのかもしれない。

めでたい報告に対して喜びたいのに自分の気持ちでいっぱいになってしまうのが結構辛いのだけど、辛くてもいいし、それが自分なんだからしょーがないじゃん、という感じ。

 

 

子どもを持たない人の考えを読みたい

2017年の本。著者の方は自分で望まないと決めた人生を送っているそう。ここまで割り切れればいいんだけど、私には無理そうだ。本の終わりには子なしの女性の声が載っていて、こういう人もいるんだな、と思える。普通にしてたら出会えない意見が読める本はありがたい・・。

 

 

子どもを持たないと決めた人もいるし、持つと決めた人もいる。善悪も上下もないことなのに、答えのない問いに晒され続けてる感覚はしっかりある。それが当たり前で普通なんだとわかるだけで、悩みが軽くなった気がする。こうして文章にすると、私は私の中でありたい私があるのになれないのがとても嫌みたいだ。見栄なのか?周りは私のことをどうも思っていないのに。ウワーッて感覚は段々薄れてきているけど、渦中はすごく苦しかったので記録しておこう。

 

 

『アンチマン』と『タクシードライバー』

『アンチマン』という漫画。

comic-action.com

 

父親の介護をしながら正社員として働く中年喪男の話。ヒーローに憧れながら、鬱屈した毎日を過ごし、解消されない性欲を余している。現実と妄想が入り混じった果てに・・という話。

この漫画はかなりわかりやすくて、ネットでは見るミソオジさんの生活を描いているから、本当に日本のどこかに存在しているようなリアリティがある。ベタっちゃベタだけどベタであればなおさら同じような人もいるだろう。

私的には、やたら女性につっかかったり、関係ないのに悪態をついたり、いわゆる女体好きの女嫌いとする人間が主役なことに、「ここまで来たか」という気持ちになった。(昔から文学や映画なりであったんだろうけど、自分が触れることがなかった)

読み進めるごとに気が重くなって、不穏が重なって、爆発して、理不尽だとは思う。共感はしないけど、産まれた性別や生きてる環境や運やら何やらで自分もこうなってたのかもしれないし、主人公一人が悪いとも思わない。(ぶつかりは絶対だめ)

 

私は女性なので、意図しない部分で勝手に盛り上がってることがあるなんてすごく不安だし怖い。自分自身だけじゃなく、友達や知らない若い子に対しても危険を覚える。だけどこれはフィクションとして線を引かないといけない。

実際に電車内で「幸せそうな女性だから」刺された事件もあったし、介護福祉士へのセクハラもあるし、駅を歩いているだけで背後から激しくぶつかられることも起こっている。フィクションとは・・。

 

タクシードライバーを観てから読むと、確かに現実と空想が混じった日常と、最後のヒーロー部分は同じだった。大きく違うところとしては、アンチマンは日本の現代人を描写しているのでネトッとしたカビくささと生活上の紙一重感があるように思う。

 

 

アンチマンが話題になっていた時、タクシードライバーだ、と言う人がいたので初めて観た。

70年代の映画で、ベトナム戦争帰りの男性が主役。不眠症を患っていてタクシードライバーになる。汚い街に天使のように美しい女性が現れ惹かれる。アタックの甲斐あってデートに連れ出すけど行先はポルノ映画。愛想を尽かされ嫌われた挙句、彼女に「殺してやる」と叫んでしまう。一人荒んでいくトラヴィスは売春している少女と出会い、また狂気は加速して・・という内容。一言で表せない・・。

 

生きづらさ、と言っても戦争帰りで病んだ人と、アンチマンのような腐り人生は並列にできないしでなんとも比較が難しい。しかもタクシードライバーはどういう思考回路で感情も不明で、人となりを私の中で定めることができなかった。この映画は顛末を見届けることしかできなかった。

 

私は共感が好きだけど、タクシードライバーには共感できるところが何一つなく、面白くなかった。だけど、作中にずっと流れる「何か起きる」緊張が張っていて続きが気になる不思議な作品だった。ロバートデニーロのぬぼっとした雰囲気がハマっていた。

 

落ち込んだり、むかついたり、悪いことが起こった時の発散方法として私の中に暴力は存在していない。心が爆発した先に「殺してやろう」だとか、一矢報いたいと思わない。だから、トラヴィスが病んだ結果暴力にたどり着いたのか、素質があったのか、両方なのかはわからないけど、「そういうものなのか?」という気持ちで観ていた。『ファイトクラブ』のように、抑圧された男性たちが、大っぴらに暴力を振るえる解放感は「そうだろうな~!」となったけど。

アンチマンで描かれた主人公の何もしなさの方がよくわかる。でも外野(視聴者)は見えてるものからしか判断できないから、田山も、トラヴィスも、視聴者の中にも共通する感情があったのかもしれない。私にはなかったけれども。

 

男の人は共感することが少ない。する必要がないか、できないのか、だからタクシードライバーは「感じる人は勝手に感じる」作りなように思った。背中を見せるというか、言語を用いない表現をしているような。だから素質のない私にはわからなかったのかな?と。。他の人のレビューでは賛の声が多いように見えたので、わかる人にはわかるんだろう。